rest

 じわじわと、硬い布触りが乾き始めた傷口を刺激する。
 咲夜は僅かに顔を顰めながら、ふう、と溜め息を吐いた。
「なんだ咲夜、帰ってたのか」
「あっ、お嬢様……はい、先ほど」
 慌てて振り向くと、そこには咲夜の主人であるレミリアが、開けたドアから半身を覗かせていた。
 咲夜は手際よく包帯を巻き終わらせると、レミリアの方へと向き直る。
「どうかされましたか」
「いや、どうもしないよ。ただ、」
 首を軽く振りながら、レミリアは室内へと歩を進めた。言葉を切り、じっと咲夜の方を見つめてくる。底の知れない深く紅い瞳に竦められ、咲夜は何か得体の知れない感覚にとらわれる。
 少し間をおいて、静かにレミリアが口を開いた。
「ただ、そう、血の匂いがしたから」
 とん、とレミリアが人差し指を立て、軽く咲夜の胸を突く。咲夜ははっと我に返って、ああ、と合点した。先ほど手当てした腕へと視線を落とす。
「帰り途中、少し絡まれた際に、ちょっとかすってしまいまして」
「らしくないわね」
 からからとレミリアが笑いを零す。
「うっかりぼんやりしてましたわ」
「うっかりで死なれたらどうしようもないな」
 とはいえ、あくまであれは遊びであって、かすり傷程度はあっても、死に至るようなことはほとんどない。それに、と咲夜は続けた。
「死んでませんから、まだ対策出来ますわ」
「対策、ねえ……」
 咲夜の言葉に、レミリアは呆れたように唇を尖らせた。ちらり、と意識したものではないだろうが、レミリアが咲夜の包帯の巻かれた腕に視線を向けた。ふむ、と咲夜は小さく唸って、
「飲まれますか」
 咲夜がなんとなしに言うと、レミリアは一瞬だが感情を消して、苦笑めいたものを浮かべた。
「悪い冗談にもならないよ、咲夜」
 レミリアは両手を広げて、わざとらしくおどけてみせた。
「包帯を巻いたのが無駄にならなくて済みましたわ」
 にこりと、咲夜は笑って返した。残念、などとは決して言わない。
 思い出したように時計を見遣って、咲夜はあっと声を上げた。
「あら、お茶の時間ですね。すぐにお持ちしますので」
 誤魔化すように少し慌てて部屋を出て行こうとすると、その背中にレミリアが声を投げ掛けてきた。
「待って、今日はいいわ」
「えっ、でも」
 レミリアの制止に、咲夜ははっとして振り向く。
「たまには自分で淹れるわ」
「大丈夫ですか」
 思わず返した言葉に、レミリアは、む、と僅かに眉を寄せたが、すぐに表情を崩して、
「いざとなったらパチェにでも頼むよ」
「はあ」
 咲夜は、何か釈然としない。
 それを察したのか、レミリアは溜息交じりに笑って言った。
「どうしたの、本当にらしくないわ。疲れてるの」
「いつもどおりのつもりですけれど」
 咲夜は返したが、いまいち覇気が感じられないのは、レミリアの言うようにやはり疲れでもしているのだろうか。視線を上げると、レミリアが、ぴん、と人差し指を立てて、咲夜の前に突き出してきた。
「咲夜」
「は、はい」
 どうにも、またぼんやりしてしまっていたようだ。確かに、らしくない。レミリアがすっと目を細めた。
「少し、休んだ方がいいかもね」
 え、と咲夜は驚いて声を上げた。
「言ったでしょう、うっかりで死なれたらどうしようもないって」
 でも、と言いかけて、それを遮るようにレミリアが続けた。
「まあ、たまにはゆっくり休みなさいな」
 なんだかんだで、咲夜も人間なのだから。レミリアが呟いた。少しだけ淋しそうな表情をしたのは、咲夜の気のせいだったか。
 しかし、いきなり休めと言われても、どうしたものか。咲夜はレミリアにされるままにベッドに横たわってはみたものの、眠るような気分ではない。
「本でも読んでやろうか」
 レミリアがそう言って笑った。冗談だということはもちろん判っているが、でも、それもいいかもしれないと、咲夜はふと思った。
「咲夜、」
 その幼さを示す高いトーンの、それでいてどこか落ち着きのある声で、レミリアが咲夜の名を呼ぶ。咲夜は顔をそちらに向けた。静かにレミリアは言葉を紡ぐ。
「咲夜の時間は、咲夜のものだけれど」
 唐突に、何を言い出すのだろう。咲夜はそう思ったが、お嬢様の唐突は今に始まったことではないと、その次に思った。
「でも、お嬢様のものでもありますわ」
 従者は、その仕える主の為に行動するのだから。
「まあ、私の時間は限りがありますけれど」
 咲夜がそう付け加えると、レミリアは少し呆れたように息を吐いてから、すい、と咲夜の顔面に迫った。
「ならばその時間終わるまで、せいぜい私に尽くすことね」
 息が掛かるほどの近さで、にやり、とレミリアが意地の悪い笑みを浮かべながら言った。咲夜はどきりとする。眼前にあるのは幼い顔で、それに相応しく悪戯な表情をしているのに、挑むような紅い瞳には、一方で切なさが見え隠れしていて。
 咲夜は、泣きたいような笑いたいような、何かよく判らない衝動が込み上げてきたが、それを振り切るように、ふっと口元を緩めて答えた。
「最後まで酷使させるなんて、酷いですわ」
「今さらじゃない」
「あら、そうでしたわ」
 ぷっ、とレミリアと咲夜は同時に吹き出した。
「まあ、咲夜がうっかりでも死のうってときは、悲しんではあげるから」
「お嬢様の泣き顔が見れないのは、心残りになりそうですわ」
 とぼけたふうに咲夜は言ってみせる。やれやれ、とレミリアが、しかし楽しそうに返した。
「おやすみ、咲夜」
 レミリアはそっと顔を寄せて、咲夜の額にキスを落とした。






Nov. 2010


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