sugarless

 突然の来客は一日のリズムを崩す。静寂な水面を揺らす、一滴の雫のように。
「相変わらずこの森は慣れないわ」
 挨拶もそこそこに、唐突に訪れた彼女は溜息交じりに言った。
「それは結構なことね」
 ドアを開けた状態で、アリスは若干苛立ちながら毒づいた。
「貴女も相変わらずつれないわねえ」
 言われた彼女は、呆れたように笑って返す。気にした風はまったくないように見える。
 こうして、いきなり訪れてくる人物がいない訳ではない。むしろ、白黒や紅白なんかはちょくちょくやって来る始末で、特に白黒はアリスがいようがいまいがお構いなしなのだから、手に負えない。
 しかし、目の前のメイド服を着た悪魔の犬は違う。アリスは訝しげな視線を向けた。
「用件はなんなの」
「用事がなくちゃ来ちゃいけないの」
 てっきりパチュリーに何か頼まれたのかと思ったのだけれど。アリスはひとりごちてから、
「神社にでも行ったら」
「まるで神社は用事がなくても行っていいみたいじゃない」
 その通りだ。霊夢には悪いけれど。
 ふう、とアリスは一息吐いてから、出入り口で話していても仕方ないので、咲夜を部屋へと招き入れた。アリスは歩を進めながら、後ろに向かって言葉を投げた。
「それで」
 肩越しにちらりと窺うと、咲夜はふむ、と顎に手を当て、
「そうねえ……貴女に会いたかったから、とかダメかしら」
 なんだそれは。思わず言いそうになって、アリスはなんとか飲み込んだが、代わりの言葉が出てこない。上海が代弁するように何か喚くような仕草をしていたが、当の咲夜はきょとんとしている。
「理由は」
「さっき答えたじゃない」
 席に座るよう促しつつ、聞いてみても咲夜はとぼけた風だ。やりにくい。
「何の為に私に会いに来たのよ」
 アリスがうんざりしたように言うと、咲夜は笑って、
「面倒ねえ」
 などと漏らした。なんとなくからかわれている気がする。
「時間は大切なんじゃないの」
「貴重な時間を裂いてまで、こうして貴女に会いに来たっていうのに」
 皮肉めいて言ってみたところで、どうにも目の前のメイド長には効かないらしい。両肘を付いて、顔の前で指を絡ませながら、にこにこと楽しそうにしている。
「……アールグレイでいいかしら」
「あら、気が利くじゃない」
 観念したように言ってみれば、嬉しそうに咲夜は答えた。まったく、わざとらしい。
 ただ、研究もちょうど一段落したところで、一息入れようと思っていたのだ。上海にもう一組カップを用意させて、茶葉を適量入れてから、沸かしてあったお湯をティーポットに注ぐ。芳しい香りが漂う。
 少し置いてから、二組のカップにそれぞれ紅茶を注いだ。ソーサを軽く持ち上げて、一組を咲夜の前に差し出す。ミルクと砂糖はお好みで。
「どうぞ」
「ありがとう、いい香り」
 まったくの不意を突かれた。咲夜が、あまりにも素直に微笑むのだから。
 アリスは紛らわすようにシュガーポットに手を伸ばした。気付いているのかいないのかは判らなかったが、咲夜は口元にカップを寄せ、その香りを堪能している。ミルクも砂糖も入れていないから、彼女はストレートが好きなのだろうか。ふと、そんなことを思った。
「ねえ、」
 一口飲んで、咲夜が口を開いた。
「なに」
 一方で、アリス自身は少し甘いくらいが好きなのだ。二杯と気持ち少し多めに。スプーンに砂糖を盛る。それを眺めていた咲夜が続けた。
「貴女とキスしたいわ」
 一瞬、何を言われたのか判らなかったが、あと少し入れるつもりであった砂糖は、余分の全ても紅い液体の中へと沈んでいった。
「甘党なのね」
 くすくすと咲夜が笑いを零す。いったい、誰のせいだと。
 しかし、わざわざ淹れ直すのも癪に感じ、アリスはそのままスプーンで軽くかき混ぜた。
「……なんなの、いきなり」
「してみたいと思ったから、じゃ理由にならないんでしょうけど」
 唇に指を添えて、咲夜は誘うような視線を向けてきた。寄せたカップから、甘い香りが鼻をつく。
「そうね」
 さして興味もなく返すと、咲夜はふっと表情を崩して、
「理由がそんなに重要かしら」
「聞いてみただけよ」
 ふうん、と咲夜はどこか釈然としないようだったが、アリスはそれ以上答えなかった。
 少しでも期待してしまったなんて、まさか、言えた訳がない。
 はああ、とこれ見よがしに溜め息をついて、アリスは手元の本を開いた。何の用があるのかないのか知らないが、これ以上構っていられない。調子を狂わされっぱなしだ。
 とは言え、栞を挟んであったページを開いたものの、どうにも内容が入ってこない。放っておけば帰りでもするかと思ったのだが、当の咲夜はと言えば、上海に紅茶のおかわりを頼んでいたりと、すっかり寛いでいる様子だ。
「それ、」
ッ!」
 いきなり耳元で声が聞こえたものだから、アリスは驚きのあまり声が出なかった。狡いというか卑怯というか。さっきまで目の前で紅茶を飲んでいたかと思えば、咲夜は次の瞬間には後ろに回り込んで、アリスの本を覗き込んでいた。ちゃっかり花びらを模した栞を手に取って、くるくると回している。
 そっと横顔を窺うと、僅かに眉を寄せて、難しそうな顔をしていた。咲夜の呼吸が近くに感じられる。
「なに読んでるの」
「……いかにして相手を黙らせる方法」
「そんなの載ってるの?」
 実際に載っていたら苦労しないのだけれど。アリスはただの文字列に視線を落とした。
「見つかった?」
「そうね……」
 ページを捲る手を止めて、紅茶を一口啜る。
「咲夜、」
 呼んで、アリスはその胸元のリボンを掴んで引き寄せた。素早く咲夜の唇に自分の唇を宛がう。柔い。
「これで満足?」
 ざらりとした感覚が舌に残っている。甘ったるい余韻。
「甘い」
「3割増しよ」
「私は控えめな方が好きなんだけど」
 不満そうに唇を尖らせながら、冗談めかして咲夜が零した。
「言ってなさい」
 砂糖の量はもう少し減らそうかしらと、アリスは思った。






Dec. 2010


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