白い手首を噛む

 美しい、と思う。陽の光に透く赤みがかった髪や、遠く外を見つめているその深く透明な瞳、溢れる白に溶けてしまいそうな儚い姿に、思わず功一は永子を抱き締めたくなり、そして泣きたくもなった。
「永子」
 と呼べば、永子はふっと視線を功一に向け、どうしたの、とでもいうように、薄く微笑みかけてくる。
「いや……何でも、ない」
「そう」
 少し語尾を上げ、永子はどこか愉しそうに、からかうように笑いを零した。
 ああ、と功一は感嘆する。どうしてこんなにも、永子は美しく、どうしてこんなにも永子が愛おしいのか。
 喉を潤そうと、功一は既にグラスの半分以上は減っていたアイスティーを呑んだ。からり、とグラスを置いた拍子に、小さくなり始めた氷が音を立てた。
 ふと、テーブルの上に置かれた白い手が目に止まった。細く長い指に、滑らかな肌。功一は手を伸ばして、その左手を握った。永子が少し驚いたように、功一に視線を投げかけてきた。
「功、」
 永子の声には、微かに心許ない響きが籠もっていた。功一の意図が読めずに、戸惑っているようだった。
 冷たい手を握ったまま、功一はじっと永子を見つめている。そしてそっとその手を口元に近づけ、手のひらに軽く口付けた。びくりと永子が僅かに反応し手を引いたが、功一は構わずに細い手首を強く握った。
「……痛いわ」
 永子の声に功一は顔を上げた。切なげな瞳の奥に、何か微かな光が揺らめいていた。ぞくり、と一瞬、寒気にも似たものを功一は感じた。
 結局その感情の正体は功一自身理解出来ず、それを紛らわすように、永子の指の輪郭を辿り、そのまま薬指の指先を含んだ。
「ゃ……」
 消え入りそうな声を上げ、永子は身体を竦ませた。功一はちらりとその様子を伺いつつ、指を唇で挟み込むようにして舐めていき、指の間を舌で擽る。空いたもう片手を永子の指に絡め、同じように指先から付け根を丁寧に撫でた。
 永子は抵抗はしなかったものの、未だに困惑した様子で功一のされるがままだった。功一は舌を手のひらへと這わせ、手首に行きつくと、ふっと握っていた力を緩めた。ただでさえ白い永子の手首は、一層白くなっていた。
 その白さを功一はじっと見つめてから、優しくその手首に唇を落とした。痛みを和らげようとするかのように、そろりと舌を何度か滑らせる。
「功……?」
 永子が躊躇いがちに呼ぶと、功一は一瞬手首から口を離したが、再び口付けを落とすと、歯を立てて軽く噛んだ。
っ……」
 永子が僅かに顔を歪ませると、功一ははっとしたように顔を上げた。
 永子の手首には、うっすらと赤い痕が残っていた。功一は羽根でも触るような手つきで、その痕をなぞった。
「すまない」
「大丈夫よ」
 と、永子は困ったような微笑を浮かべながら、功一に云った。
「判ってる」
 功一は小さく頷き、少し間を置いてから、確かに永子に微笑みかけてみせた。功一は元来、感情が表情や言葉に表れにくい、否、巧く表せないが、それでも、永子にはきっと判ったのだろう。永子もまた表情に表れにくいが、功一よりははっきりと、答えるように微笑み返した。
 功一は永子のその透明な微笑みに照れてしまい、ふい、と視線を逸らした。