※軽くですが、それとなく同性愛表現(百合)を含みます





花と水の戯れ

 甘い香りがする。永子はまずそう感じ、そしてそれから耳元をくすぐる囁きに身体を震わせた。後ろで心地の良い笑い声がする。しなやかな腕が回され、肌の温かさがそっと伝わってきた。
「なぎさ」
 永子が呼ぶと、なぎさは嬉しそうに微笑んだのが判った。肩に顎を乗せるようにして、後ろから優しく抱き締められる。
「永子」
 いつも、と永子は思う。いつも、なぎさはとても綺麗な音で、自分の名前を云う。丁寧で、酷く正しい。だから永子は、なぎさに名前を呼ばれるとき、一層くすぐったくなるのだ。
「止めて、くすぐったいわ」
 耳元でなぎさがその名前をなぞる。どうも永子は耳元から首筋にかけて、息を吹きかけられるだけでもくすぐったくて堪らない。
「どうして? 永子が可愛いのに」
 くすくすと冗談混じりに、けれどひとつひとつ、なぎさはその美しい音で言葉を紡ぐ。日本語とはこういうものなのだろう、と思わせるような。
 すい、となぎさの指が永子の唇に当てられた。それだけの動作に、けれど永子はどきりとしてしまう。ひやりとした冷たさが唇から感じられる。
「永子、」
 好きよ、となぎさがそっと呟いた。触れるか触れないか、そんな感触が、耳を掠める。
 唇に触れていた指が、その輪郭を辿ってもう片方の耳に触れた。髪を梳くように探られ、襟足が露わにされる。
「痕が、ついているわ」
 小さく笑い、そう云って、なぎさがその場所を撫でる。
「やだ、恥ずかしい」
 情事の痕が残っているというだけでも決まりが悪いのに、ましてそれがなぎさに指摘されるのだから、永子はどうしようもなく恥ずかしさでいっぱいだった。
「なぎさ、」
「妬けるわね」
 ふふ、と冗談めかしながらなぎさが呟き、ちょうどその痕にキスするかのように顔を埋めて、再び永子を抱き締めた。さらさらとした髪、甘い匂い、少し冷たい肌、艶やかな吐息、永子はくすぐったいのを堪えながら、なぎさという存在をじっと感じていた。
「や……」
 思わず声を上げてしまった。不意になぎさがキスを落とすから。永子はあまりに柔らかい感触に、どきどきと胸が高鳴るのを抑えることが出来なかった。
「きれい」
 それは、なぎさの方でしょう。永子はそんなことを思いながら、なぎさに任せるままだった。ふわりと甘い息を吹きかけられ、そっと耳朶を柔らかな感触が挟み込む。
「あっ……なぎ、さ」
 熱い触感に、永子は身を捩った。なぎさは舌を永子の首筋へと滑らせ、耳のすぐ下あたりに小さくキスをした。
「永子、こっちを向いて」
 ふっと腕を解いて、なぎさが云う。永子は頬を紅潮させながら、なぎさに向き直った。
「永子」
 なぎさが手を伸ばし、軽く頬に触れる。熱を持った頬に、なぎさの手は一層冷たく感じられた。なぎさが顔を近づける。こつん、と額同士が合わせられる。なぎさの深い瞳に、永子は捕らわれてしまう。決して底の見せない、情熱の裏にかなしさが時折見え隠れする、紅い瞳。
 なぎさはふっと微笑んで、一瞬、永子の唇に唇を合わせた。本当に、ただ一瞬。けれど、それはきっと、同時に永遠でもあるかのようだった。
「なぎさ」
 永子が呼ぶと、なぎさが笑った。唇には紅いルージュがひかれていた。なぎさに、赤はとても似合った。
「――冗談よ」
 なぎさの言葉は、丁寧で正しく、だから、酷くかなしい。
「判ってるわ」
 たとえ、永子となぎさのあいだに友人としての好意以上の、恐らく恋愛のそれがあったとしても、結局、それだけなのだ。そう思って、永子は泣きたい衝動に襲われた。
「永子?」
「何でもないわ」
 小さく首を振って、永子は無意識になぎさに向かって腕を伸ばしていた。そのままなぎさにそっと抱きつく。なぎさは何も云わずに、ただ永子を受け止めてくれていた。
「なぎさ」
「なに」
「好きよ」
 永子の呟きに、なぎさが静かに頷いた。永子には、それだけで充分だった。